娘の幸せを喜べない母親 (2)
私は結婚して以来ずっと、自分が幸せになることは、母を不幸にすることなんだ、と思い込んでいました。 ...
結婚とは親を悲しませること?
自分の幸せは母の犠牲の元に成り立っている。結婚生活がどんなに幸せでも、そこには常に罪悪感がつきまとっていました。
「娘を取られた」と言い続けた母親
「私は娘を取られるのよ!」結婚前から繰り返し言われた母の言葉。「私は娘を取られたのよ!」結婚してもなお続いた母のこの言葉。
「取られたなんて、決して思わせない」。当時の私には自信がありました。実家に頻繁に帰りました。両親と親子水入らずの正月を過ごした年もありました。足りなかったのか。見当違いのことをしてたのか。元々何をしても無駄な相手だったのか。母の「娘を取られた」思いは、消えることはありませんでした。
「子供のいない人にはわからない」と娘に言った母親
「子供のいない人には、この気持ちがわかるはずない」。息子しかいない人には「娘を持った人にしかわからない」。母の心無い言葉が、私以外の人にまで向けられることに困惑しました。母は、親戚や知人などにもこぼしたのでしょう。「お母さん寂しがってるわよ」「もっと帰ってあげなさいよ」と何人もの人に言われ、私はいつから「親不孝な娘」のレッテルを貼られるようになってしまったのだろうか・・と悩みました。
「10年、20年後を見ててほしい。今は取られたと思ってても、私の夫は“娘を取った人”ではなく、“娘を幸せにしてくれている人”だとわかってくれる日が必ず来る」。そう思った時期もありました。しかし、それは叶いませんでした。
母親は被害者。私は母を傷つけた加害者
結婚20年が過ぎたある日、共通の知人に言われました。「この前、お母さんに会ったんだけど、あの子(私)は、私(母)のことが嫌いで家を出たのよ、私は捨てられたのよって言ってたよ。それって本当?」。私の中で張り詰めていたものがプツンと切れた瞬間でした。母は「娘を取られた被害者」で、私は「母を不幸にした加害者」。20年経ってもその構図は変わらない。その頃から私はうつ状態に悩まされるようになりました。
親が原因の鬱。その回復
私は幼い頃から、母の希望の星で、幸せの源。しかし、私は母を幸せにするために生まれてきたんじゃない。私は私の幸せを追求していいはずです。
今私は、心の中でこう母を突き放すことで、誰に遠慮することなく、心の底から幸せになろうと心に決めました。「お母さんは確かに今、幸せじゃないのかもしれない。でもそれは私のせいじゃない。お母さん、それはあなた自身の問題だ」。
毒母からの解放
「私が幸せになることが、母の幸せにつながるに違いない。親の愛とはそういうものだもの」と信じて疑っていなかったあの頃。自分の親がそういう愛情の持ち主ではないと気づくまでに20年かかりました。
長すぎたな、バカだったな、と思います。私の20年は何だったのだろう、という後悔の念と、挫折感に苛まれた時期もありましたが、夫の「あなたは優しいんだよ」のひと言に救われました。私は、自分さえ幸せになれば、ほかの人はどうでもいいだなんて思わない。自分の幸せを追求しながら、それが母の幸せになる方法は何かないかと模索し続けた。私にできることはすべてやった。諦めなかった。そんな自分を誇りに思いたい、そして、人生の駒を先に進めたいと思います。
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