娘の人格を否定する母親 その末路 (2)

娘の人格を否定する母親 その末路 (2)

「似合ってないわよ」。 ...

吹奏楽部に入りたいと言ったら、「ラッパなんか吹いて、それ以上口元が悪くなったらどうするの」と言いました。

性格も、容姿も、言うことも、考えていることも。母はみんな気に入らない。私のすべてが気に入らない。しかしそれでも私は、母に愛されたかった。認めてもらいたかった。母に言われてからは、髪をアップにするのをやめたし、吹奏楽部も諦めました。性格も、言葉遣いも、母からダメ出しされないようにと気を付けました。

母に厳しいことを言われるのは、私が悪いのだと思っていました。私はよっぽどダメなのだ、と。だから、そんな母の態度が、子供に対する「人格否定発言」だとは長いこと、気づけませんでした。

私は、長く「生きていて楽しくない」といった生きづらさと隣り合わせの人生を送ってきました。自分で自分がわからないのです。自分がどんな人なのか、それがわからない。それはまさしく、毒親育ちの人の特徴なのだそうです。ありのままの自分でいると、母から否定される、バカにされて恥ずかしい思いをする、そんな経験をしてきた私は、自分を押し殺して生きてきた。だから、自分を出すことができない、生きていて楽しくないのです。

「もう少し、言いたいことを言ったり、したいことを自由にできるようになりたいな」と思いました。でもそう思うたびに、母から言われた様々な事柄が思い出されます。その中には、言葉遣いとか、人への態度とか、親からの教えとして当然あっていいものもあるように思いました。どこからどこまでが、素直に聞くべき問題で、どこから先が人格否定、気にしなくてもいいことなのかが、私にはさっぱりわかりませんでした。

たくさんの本を読み、いろいろ考えました。私は今、こう思います。「子供が親から叱られていいことは、行動だけなんじゃないかな」と。性格や好みは、それを指摘されても治せない。無理して治してしまったら、その人じゃなくなっちゃう。その人らしさがなくなっちゃう。そういう点を、ズケズケ批判するのは、人格否定なんじゃないかな、と。

思えば昔の私は、人に対して厳しいことを言うところがあったかも、と思います。親からされてきた人格否定を、人に対してしていたのかもしれません。今は、人にも優しくなれてるんじゃないかな。そして自分に対しても。

私はもう母には、会わないことにしました。少なくともしばらくは。母は、自分の言っていることが、「私の人格を否定していること」だとは思っていません。私は、自分の人格を傷つけられたくありません。私は、私を守っていんだな、と思います。たとえそれが、自分を産み育ててくれた母親であっても。自分の尊厳を守ることが、親を大事にすることより大事であることが、今の私には、よくわかります。


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