押しつけてくる毒親。その末路 (2)
しかしそんな父も母も、年を取りました。今後のこともあるし・・と久しぶりに実家に顔を出しました。 ...
私は父から、3時間、お説教を食らいました。私が実家に帰らないために、お母さんが不幸になってる、と言われました。「お前がちゃんとしないと。悲しませないようにちゃんとしないと、な?なぁ?」。「お母さんを幸せにする係」を押し付けられました。「そう思うなら、お父さんが、お母さんを幸せにしてあげればいいんじゃないのかな」と思いました。
母からは別のことを言われ、そして、別のものを押し付けられました。「お母さんは、もう十分生きたから、あとは余生を楽しむわ。心配なのは、○○ちゃん(妹)のことなの。あの子、結婚してないでしょ。だから、お母さんお父さんが死んだ後のこと、心配なの。よろしくね」。
私は知っています。妹は、母がいつもそんな言い方をすることに、すごく傷ついています。生涯独身の人なんて、いくらでもいる。妹はちゃんとやっていけるし、母や父からもそう思われたいと切望していました。
そして、「もっとちゃんと、俺たちの介護のことについて、身を入れて考えろ!」と続きました。介護か・・父は、私が当然それをするものだと思っているようでした。すべては私が介護をすることが前提の、まるで打ち合わせのような話が続きました。
私の意向も、都合も聞かずに? 「この人たち、最後まで、すべてを私に丸投げなんだな」と思いました。
「失敗したよなぁ・・私は、子供の頃から、親が自分に何を期待しているかを、敏感に察知し、期待されてる役回りを、きっちりこなす子だった。ウチの親は、それに慣れきっちゃってる。何でも私に押し付ければ、後は私がなんとかしてくれると思い込んでる」。
後悔しました。なんで、あんなに「いい子」のふりしてきちゃったんだろう、と。自分の子供としての在り方が、親への接し方が間違っていたからいけないんだ、と自分を責めていた時期もありました。
でも違う。今は思います。子供には、何の罪もない。ウチの親は、子どもに無理させていることに、自分で気が付くべきでした。「子供だった私には、何も責任はない」。自信を持ってそう断言できるようになるのに、2年かかりました。でもそこから、それまでが嘘のように気持ちがラクになりました。
実家に帰ると、いつでも、重たい荷物をいくつも持たされて帰るような気分がしていました。それが重荷で重荷で、私は実家から、自然と足が遠のいたのだと思います。でももう、その荷物は、捨てちゃうことにしました。知ってるもん。こういう親のこと『毒親』って言うんだよね。私は今、51歳。人は、自分がしてきたことの責任をいつか取るときがくる。50年間の親としての在り方に、今答えが出たってことだ。もう知らない! 親がひたすら重荷になる人生から、もういい加減、解放されたいです。
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