母娘共依存。その末路(毒親育ちの介護問題)
「母のために生きてきた」。人生を親に奪われた娘が直面した介護問題。彼女が選んだ道は・・
母娘が「共依存関係」になることは、決して珍しいことではありません。ここに「私は、共依存でした」という人がいます。この人は、どのようにして共依存になったのでしょうか。自力で共依存から脱却したというこの人。どうやって共依存を治したのでしょうか。母親とは、今、どのような関係にあるのでしょうか。赤裸々に語ってくれました。 ...
母のために生きてきたような人生でした。
母は、子育ての愚痴を私によくこぼしました。その多くは、ママ友との関係や近所づきあいに関することでした。母はよく言っていました。「私は、友達付き合いとか本当は好きじゃないのよ。でもあなたにかわいそうな思いをさせたくないから頑張ってるのよ」。
私は実によくできた子供で、そんな母親の愚痴を一身に受け留めました。母親の話を聞き、「お母さん大変だね」とか「私のためにありがとう」とか言ってました。今思えば、親子逆転のようでした。あれが嫌だこれが嫌だと駄々をこねている子供を、私がなだめているような状態でした。
私は幼い頃から、「母は私のために苦労している」ということがよくわかっていた子供でした。母にこれ以上苦労をかけちゃダメだと、心して過ごしていました。母を困らせたり、恥をかかせるようなことがあっちゃいけないと、いつでもイイコでした。私は、100%母のために生きていました。
そんな歪んだ親子関係の中で育った私は、いい友達ができませんでした。私が親しくなるのはたいていポツンとさびしそうにしている子や、悩みのある子。ひとりでさびしそうにしている子のそばに行き、話をしたり笑わせたり心を開かせるのがうまかった。
でもいざ、相手が心を開いて私ともっと仲良くしようとすると、私は決まって自分から身を引きました。自分でもなぜ、それ以上仲良くしようと思わないのか不思議だった。でも、どうしてもできない。別の悩んでいる子にアプローチしたくなる。それがなぜなのか、今はわかります。共依存だったからです。
私はそれこそ小学校低学年くらいから、母の愚痴を聞き、慰めたり励ましたりし続けてきています。子育てに苦労の多いかわいそうな母。そんな母に優しくしてあげている自分・・それが私のすべて。だから友達を作るときにも、かわいそうな子を選んでしまう。そういう人間関係しか知らないから、そうしかできない。そして、かわいそうな子と仲良くしてあげている優しい自分に酔っていた。共依存の典型でした。
私が、共依存だと気づいたのは45歳のときです。会社にいても、友人同志の食事会とかに行っても、人間関係が苦痛で仕方がない。みんなでワイワイやるのは絶対的に無理で、「かわいそうな感じの人」とつながりたがり、悩みを聞いてあげたりするのが私の常。自分はどこかおかしい・・と生きづらさを感じていてもその正体がわかりませんでした。
その私が共依存だと気づいたのは、「毒親」という言葉を知ったことがきっかけでした。そこには、私とそっくりの生い立ちの例が書いてありました。そして、その結果共依存になってしまった女性の例。まさしく私でした。自分の置かれていた状況が客観的にわかった瞬間でした。
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