母娘共依存。その末路(毒親育ちの介護問題) (2)

母娘共依存。その末路(毒親育ちの介護問題) (2)

共依存だと気づいたのは45歳。あれから5年。私はもうすっかり親から解放されました。 ...

私はそれまでの45年間を共依存状態で生きてきています。これまで普通だと思っていたことが、完全に間違っていた。天地がひっくり返ったかのような衝撃だったし、今までの自分は一体何だったんだ?とにもなりました。辛かったけれど、毎日毎日、今の自分でいいのか、はたまた「共依存」なのか、その都度その都度・・自分に問い続けました。それ以外のことは何もできないような日々でした。

仕事にも身が入らず、家で食事を作るのも億劫。私は、夫に毎日のように問いました。「今日こういうことがあって、こう思ったんだけど、これって普通? あなただったらどう思う?」。夫は、ひとつひとつ答えてくれました。「なんとも思わない。相手に気を使い過ぎ」。「自分の言いたいことを言う。相手がどう感じるかは別」。

夫の答えがすべて「正解」というわけではないけれど、そういう考え方もあるのか、と思ったし、次第に、そういう考え方の方が楽だな、と思えるようになりました。「言いたいことを言い、したいことをする。生きるって、意外と簡単なことなのかも」と思えるまでに2年かかりました。

共依存を乗り越えるのに、一番のハードルだったのは「母」でした。共依存から脱却しつつある自分。そんな自分を母はどう思うだろうか、と考えると無性に不安になったりイライラしました。「お母さんは、娘から捨てられたとショックを受けるに違いない」とそれが心配でなりませんでした。「母親を失望させるなんて、自分はダメな人間だ」と絶望的な気分になりました。

「母がショックを受けるかどうかは、母の問題であって、私の問題ではない。私が言いたいことを言い、したいことをし、それで母がショックを受けても、それは私の責任じゃない。受けたショックをどう消化するかは、母が自分で考えやるべきこと。母は、これまでずっとそれを私にやらせてきた。それは間違ってる」。何度も自分で自分にそう言い、頭に叩き込もうとするのに、心が拒絶するような日々が3年続きました。

でも今は違います。「お母さんのこと? 悲しんでる? 親不孝な子だって言ってる? 私、知らない。自分のことは自分でやってもらうしかない。私は自分の人生に責任を持つ、そのことに忙しいから」。今はそう思っています。

年老いてきた母は、会えば今まで以上に、愚痴を私に聞いてもらいたがります。でも私は大丈夫。完全スルーできるようになりました。ただ残念なのは、親が高齢になった今、「自分もすっかり大人だな。親の愚痴のひとつも聞いてあげられるようになったなぁ」なんて親子関係にならなかったこと。

私は早くに大人になり過ぎてしまいました。子供の頃、さんざん親の愚痴を聞き、親に尽くしてきています。「少しは親孝行しないとな」とか思うかもしれない50歳とかになって、「もう解放して・・お願いだから・・」と親を放棄するようなことになった展開は、残念だったとは思う。

でもそれも私のせいじゃない。そういう親子関係だったってことだ。もうこれ以上、自分を責めるのはやめたいし、親から責められたくない。親の介護は一切しないつもりです。


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