決めつけの激しい母親。そこから完全回復した娘の話

決めつけの激しい母親。そこから完全回復した娘の話

口癖は「あなたのことは何でもわかってる」。話を聞いてもらえず。わかってもらえず。寂しさを抱え続けた娘はついに・・

決めつけの激しい親がいます。そんな親の態度に困っている子供も。きめつけの激しい親は、なぜそうなってしまうのでしょうか。そんな親に育てられている子供はどう思っているのでしょうか。どんな大人になるのでしょうか。ここに、決めつけの激しい母親に育てられたという人がいます。その生い立ちと、長く感じてきた生きづらさ。そこから回復した過程について詳しく話を聞きました。 ...

母は、とにかく決めつけの激しい人でした。

母は、私がそれこそ小学校に入るか入らないかのときから言っていました。「あなたのことは何でもわかってる」。私はそれを言われると、子供心にいつももやもやしました。

なぜ、母は私のことをわかっているのか。その理由が嫌でした。「あなたを産んでここまで育てたのは私なのよ。だから、顔色を見れば、あなたが何を考えているのかわかるの」。すべて見透かされているみたいで嫌でした。

母は、私の顔色を見れば、学校で何があったのかわかる、と言っていました。私は学校であったことを母に話すのが嫌でした。「へーーっそんなことがあったの」とか、興味深く聞いてくれたら、嫌にならなかったと思う。でも母はいつでも「すべてお見通しよ」みたいな顔をしていました。もし母にそれを言えば、「そんなことない」と反論されそうですが、少なくとも子供の私にはそう感じられていた、それは事実です。

母は、私の朝起きてきたときの顔で、体温がわかると言っていました。予防注射の日には、体温を測っていかななくちゃいけなかったのだけれど、母は必要ないと言いました。「36.3」と勝手に書きました。そんな母の態度から、お母さんは私のこと何でもわかってる、と思い込むようになったと思います。それが安心感につながればよかったのだろうけど、違いました。私には自分がない。母が思っている私が「自分」。そうならざるを得なくなっていきました。

新しい友達ができれば、「その子はあなたに向いてないと思う。あの子の方がいいと思うわ」と言われました。思春期になり自分の好きな髪型やら服装やらに凝り始めたときにも、「それは似合わないわよ。こっちがいいって」と言われました。思春期の女の子にとって、似合っているかどうかは関係ない。自分の好きな髪型や服装をすればよかったし、それが「自分らしさ」を形作るのに重要だったのに、私にはその機会がまったくありませんでした。「似合ってないわよ」などと言われて傷つくことを何回か繰り返した後、もうそれ以上傷つきたくないがために、髪型も服装も抵抗することをやめ、母好みにしました。

そんな私は自分がない。私は典型的な&重症の「毒親育ち」でした。

私は大人になっても、自分が何をどう感じているのかがまったくわからなかった。「コレいいな」と思った瞬間に、その自分の正直な気持ちにブレーキがかかる感じでした。頭の中で母の声が聞こえてきました。「あなたはこういうの嫌いなはずよ」。そうすると「コレいい」と思ってはいけない気がして「たぶん私、これ嫌いんだな。そうだ。嫌いだ」と思ってしまう。

友達からは「あなたは何を考えているのかわからない」とよく言われました。自分に正直じゃないから、嘘つきだとか、信用できない人だとか思われていたと思う。みな私から去っていきました。

そんな私の生きづらさは、毒親育ちの典型なのだと気づいたのは、なんと40歳を目前にしたときでした。あれから5年。私はやっと生まれ変わることができました。 [...]


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