私は親に誕生日を祝ってもらったことがない(自己肯定感が低い) (2)
私は子供の頃から誕生日を祝ってもらったことがない。誕生日の日には、欲しいものを買ってもらったり、ケーキを食べたりすると友達は言っていました。でも我が家にはそういう習慣がない。 ...
いえ、正確には、そういう習慣がないわけではないのです。私は、親の誕生日は必ず覚えていて、「今日はお母さんの誕生日だね」みたいなことは必ず言っていました。ただ、おこずかいから何かプレゼントするとかそういうことはなかったと思う。かなり裕福で、質のいいものや高価なものばかりを購入していた両親は、「安いけれど心のこもった品」には目もくれませんでした。それがたとえ、自分の子供のプレゼントだったとしても。
なぜ私が、親の誕生日だけは忘れなかったのか。それは、両親が自分の親(私の祖父母)の誕生日を欠かさず祝う人だったから。両親は、よく言えば「親孝行」な人でした。実家にお中元お歳暮を贈ることや、父の日、母の日、親の誕生日などの祝い事は欠かしません。父も、母も、そうでした。
そして私は幼い頃から、両親からこう叩き込まれました。「あなたも結婚したら、旦那さんのご両親の誕生日祝いを欠かしちゃだめよ」。母は「子供は親の誕生日を祝うものなのよ。だから、あなたも私の誕生日祝ってね」とは言ってない。結婚したらそうしなさい、とだけ言っている。しかし、私は子供ながらに、「私は、お母さんとお父さんの誕生日を祝うべきなんだな」と解釈しました。
「私」という存在は、自分の中で、人から誕生日を祝ってもらう存在ではなく、人の誕生日を祝わなければならない存在。そんな風に自分で自分をとらえるようになったと思います。
それが私の自己肯定感の低さにつながっているんじゃないか・・と次第に考えるようになりました。私たち夫婦は、子供を持たない選択をしました。私は、子供を持つことに結婚前からかなり消極的でした。夫も実は毒親育ちで、同じ気持ちだったようで、「子供は作らない。共働きで」と即決でした。今思えば、親に苦労させられ、「子供」という立場にうんざりしていた私たちは、子供に同じ苦労をさせたくない、生まれてきても幸せかどうかわからない、という気持ちの方が大きかったのだと思います。
もしも子供のとき、私が親から誕生日を祝ってもらっていたら、「あなたが生まれきてくれてよかった」と言われているようで、ほんわかうれしい気持ちになったり、安心したり、自分に自信が持てたかな、と思いました。それに気づいたんだから、今からでも遅くない。自分を変えたいと思いました。
親に誕生日祝いを送るのはやめました。ずっとずっと、なんでこんなこと強制されなくちゃいけないんだ?!と憂鬱だった。その代わり、夫の誕生日を祝うことにしました。「あなたが生まれてきてくれて。今ここにいてくれて。本当によかった」と思いながら、夫の誕生日を祝うことにしました。
私と同じように、親から誕生日を祝ってもらったことのない夫は、ふーーーん、くらいの反応でしたが、私がなぜ、誕生日のお祝いをちゃんとしようと思っているのかを話すを「なるほどね」と言いました。ふたりの誕生日には、ふたりでささやかなお祝いをしています。豪華じゃなくても、お金かけられなくてもいい。ささやかだけどふたりでおめでとうを言い合います。
今はふたりとも、うれしいような、たいしてうれしくないような。慣れてないからそんなもの。でも、いつしか私たちが誕生日祝いを心の底から「うれしい」と思えたら。そのときには、毒親から植え付けられた「毒」の解毒がまたひとつ終わったことになるんじゃないかな、と思う。
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