親の見栄。子供の発達障害を否定した毒母の末路 (2)

親の見栄。子供の発達障害を否定した毒母の末路 (2)

お医者さんでくだされた診断は「発達障害」。私は、注意欠陥・他動性障害(ADHD)でした。 ...

本当の私は「しっかり者」とは対極の人間でした。わかってみれば、思い当たることばかり。整理整頓の苦手なうっかり者。勉強はそこそこできるのに、友達付き合いはまるで駄目。そんな私が「ほかの子と同じ」であることを求められ続け、自分を殺し、優等生の自分を演じ続けてきた。これが私の生き辛さの原因でした。

そしてその頃から、母から聞かされたあの話を、私はしきりに思い出すようになりました。私が2歳のとき、障害の可能性を指摘してくれたお医者さんは、この発達障害のことを言っていたのではないか。そしてもし、両親がそれを否定せず、そんな私にどんな療育がベストなのか、親の見栄より、私の幸せを一番に考えてくれたら、こんな生き辛さを感じ続けずにすんだのではないのか・・。

「親の愛とは何なのだろう」。わからなくなりました。「子供に障害があるかもしれないとわかったとき、親がすべきことは、障害がないと言ってくれる医者を探すこと?」。父のことも、それを美談として私に話した母のことも信じられなくなりました。自分は、両親から愛されていなかったのではないかと思えてならなくなりました。「発達障害の私なんか、誰も好きになってくれない・・」。とてつもない孤独感と不安感に襲われ、生きているのが辛くなりました。

そんな私を救ってくれたのは、夫と夫の家族でした。夫や義母は、発達障害の診断が下った後も、今までと何ひとつ変わらない態度を取り続けてくれました。「本当に愛してくれている人は、障害の有る無しで、愛情が変わったりしないんだな・・」。ありのままの自分が受け入れられる安心感を生まれて初めて知り、私のうつは快方に向かいました。

私は、実の両親には、自分が発達障害であることを言わないと決めました。「自分の娘が発達障害だったことがわかった後も、両親は、今までと変わらない態度でいてくれるだろうか?」。この30年という年月の中で、両親との間で起こった様々な出来事や、両親の私に対する言動を思い起こすにつけ、その答えは「ノー」であるとしか思えなかったのです。

30年という時間は、ある親子にとっては、何があっても揺らぐことのない強い絆を作るのに十分な年月になるでしょう。その一方で、私のように「信じられない」と確信するに十分な年月にもなる。「私は次の10年で、今自分のそばにいてくれる大切な人との信頼関係をどれだけ深められるだろうか」。ありのままの私を愛してくれている人との関係を大切に、私は私らしく前を向いて生きていきたいと思えるようになりました。


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