子供を心配し過ぎる親【ac家庭の実態】 (2)
思えば母は異常なまでの心配性でした。 ...
私が、何かを始めるとき、母は必ず「できるの?」と心配しました。私が出かけるとなれば、「気をつけなさい」と、これでもかとういくらい心配されました。ちょっとでも成績が落ちれば、将来を心配され、新しい友達ができれば、どんな子なのか根ほり葉ほり聞かれました。
私は、何かする前から「あなたにできる?」と母に心配されました。ひどく不安そうな顔をするので、母に心配かけまいと、やるのをやめたこともたくさんあります。何か失敗したときにも、困っていることがあったときにも、母に心配をかけまいとして、ひとりで何とかしました。
うっとおしいと思わなかったと言えばウソになる。母のことは、正直なところ嫌いでした。でも私は、自他ともに認める「よくできたイイコ」です。私は、母が心配にならないように気を付けて行動しました。
私が結婚したとき、母はやっぱり心配しました。夫になる人のこと、その実家のこと、そして、私が苦労しないかどうか。「大丈夫だよ、お母さん」と私は母に言い続け、なんとか自立しました。
10年が経ち、夫が、脱サラして夢だった料理の道に進むと言い出しました。私は、賛成しました。うまくいくかいかないかなんてことよりも、一度きりの人生。悔いなく生きて欲しいと思いました。夫は、郊外に小さな洋食屋を開きました。
その話を母にしたとき、母は、案の定心配しました。娘である私が、これから苦労しないかということ。それだけではありませんでした。プライドの高い母は、娘の夫が、誰もが知ってる有名な会社を辞めて自営業になることについて「親戚に、なんて説明しようかしら」と心配していました。そして、「忙しくなるの? 実家に前みたいに帰ってこれなくなる?」これまでどおり私と会えるかどうか、心配していました。
その時初めて、私は明確に、お母さんの心配は何か変だ、と思いました。
親とはみな、子供のことが心配なもの・・私は子供ながらにして、親の気持ちを慮り、母を心配させないようにすることが、子供の務めだと信じて生きてきました。しかし、それは違いました。私は、母の犠牲になってきただけでした。「本当の親の愛とは、たとえ心配でも、それを子供にぶちまけたりせず、子供のことを信じることなんじゃないだろうか」と思いました。
私のような人のことを「アダルトチルドレン」と言うのだということは、その時知りました。私は、母に心配かけないように・・ということばかりを優先して、自分のやりたいことも、言いたいことも我慢してきました。親のために生きてきたような人生だったんだ・・と初めて気づきました。
よくできたイイコのはずの自分が、同世代の誰よりも愚かで節穴だらけの人間に思えました。自信に満ちていた過去の自分は、あっという間にいなくなり、「自分は存在していていいのだろうか?」とさえ思うくらい落ち込みました。
今は、そんな状態を脱し、ちょっとずつ元気になってきています。自分の夢を追いかけている彼を応援したいと思うとき、自分が癒されているような気がします。「自由に生きればいいじゃない! 人生一度切りなんだもの」と彼に向けて言うその言葉は、本当は自分で自分に言いたい言葉なのかな、とよく思います。
「あなたも、何でもやりなよ。応援するから」。夫はそう言ってくれるけれど、母に心配かけまいと、我慢することをよしとして生きてきた私です。自分のしたいことが自由にできるようになるには、まだ時間がかかるかな。でも、それが自覚できているなら、きっといつか、自由に生きれる日がやってくるに違いないと、自分を信じることができるようになりました。
人気の記事
心理的虐待ダメージ診断(旧:毒親洗脳度チェック)
親ストレス診断
いい子症候群診断【セルフチェック】
完璧主義診断【セルフチェック】
モラハラ親チェック【無料診断】
燃え尽き症候群セルフチェック
親パワハラ診断
すぐわかる!モラ母(毒母)チェック
acタイプ診断
嫌われたくない症候群診断【セルフチェック】