「友達」のような関係の親子。特徴と子供への影響 (2)

「友達」のような関係の親子。特徴と子供への影響 (2)

母は、友達がいない人でした。 ...

子供の頃から母は私によく言っていました。「お母さんは、友達を作るのが下手なの」と。本当は友達が欲しいのに、できない。いつも寂しそうでした。

趣味もなく、仕事もしておらず、父は仕事で不在がち。「私がすべて」みたいな人でした。子供の頃から、私は母の話し相手。思えば私は、母から「友達と遊んでおいで」みたいに促されたことがない。「遊びに行っていい?」と言うとき、幼くして私は罪悪感でいっぱいでした。「お母さんに悪いな」と思っていたのだと思います。

高校生くらいになると、母は、私と一緒に買い物に行ったり、食事に行ったりしたがるようになりました。息子しかいない親戚の人に、「娘を持った人はいいわぇ」としょっちゅう言われ、そのたびに母は誇らしげでした。「娘を持った私は勝ち組」とでも言いたげな顔で、私とふたりのときにも「娘でよかったわぁ~」とか言っていました。

私は、どんどん母に縛られていきました。仲良くしなくてはいけないような気がしました。私は、はっきり言って、母と一緒に行動するのが嫌でした。母のことが嫌いでした。でもそう思ってはいけない気がしていました。そして、母と仲良くすればするほど、友達と話が合わなくなりました。周囲の友達が、子供じみて見えたのです。

私は、大学入学と同時に、8歳年上の彼氏と付き合い始めました。大学を卒業したら、すぐ結婚したいと思いました。実家にいるのはあと4年。母と仲良くしてあげようと思いました。母がそれを望んでいるのなら、あと4年だけは・・。食事に行ったり、旅行をしたり、友達と一緒にいるより、母と一緒にいる時間の方が多かった。それは、私なりの親孝行のつもりでした。しかし、それが大きな間違えでした。

どうやら母は、結婚した後も、私と「お友達」でいたかったようでした。しかし、母からやっと解放され自由になった私は、実家にさえ帰らなくなりました。母は、「娘に裏切られた気分だ」「娘を盗られた」とあちこちに言って回りました。「あなたを結婚させたのは間違いだった」と言われました。私の夫も悪者になりました。母にとって彼は、「娘をそそのかしてる悪いヤツ」。私は親戚や知人に会うたびに、少しは、お母さんに優しくしあげなさいよ、などと言われました。

私は困り果てました。「自分が悪いんだ」となんとそこから25年、自分を責め続けていました。「最後の親孝行」のつもりで、結婚前に母と一緒にいる時間をたくさん作ったことが間違ってたのではないか、返って母に寂しい思いをさせるくらいなら、あんなことしない方がよかったのではないか・・と後悔しました。もっと実家に帰っていれば。嫌でも母の相手をする「我慢」が私にもっとできていたら。うまいこと母との関係をフェードアウトしていく器用さが私にあれば・・。すべては私が至らないからだ、と自分を責めていました。

私が、「母」から解放されたのは、なんと47歳、銀婚式の年でした。今でも、裏切られたの、私の夫が許せないだの言ってる母に疲れてしまいました。「そもそも、子供をお友達にしようだなんて、間違ってる。子供には子供の人生があるのに」。気づいてみれば簡単なことでした。母は「毒母」でした。

母には、「友達」ではなく、「母」でいて欲しかったな、と思います。私の母は「母」じゃなかった。私と友達となりたがっていたただの人。友達が結婚すると、裏切られたような気分になる人がいると言います。母もまさしくそうだったのだと思います。でも、それは裏切りじゃない。幸せになることに罪悪感なんて感じなくてもいい。もしそんな風に感じている人がいるのなら、「幸せになっていいんだよ」と言ってあげたいなと思います。そしてその言葉を、自分にも言ってあげようと思いました。

私たち夫婦には、子供はいません。私は、子供が欲しくなかった。「親」にだけはなりたくなかった。母にうんざりしていたんだと思います。親が大嫌いだから、そんな嫌いなものに、なりたくなかったんだと思います。その決断をした20代の頃の自分を想うにつけ、「私は、若い頃から、相当親にうんざりしてたんだな」と思います。なかば強制的に友達にさせられ、話を合わし、趣味を合わし、「付き合いたくない」と思う自由まで奪われ、相当うんざりしてたんだろうな、と思います。


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