ACは必ず治る! 努力しない親の家庭 (2)

ACは必ず治る! 努力しない親の家庭 (2)

よく言っていたそうです。「私(母親)はダメなのよ。友達ができないの。あなたは私みたいになっちゃダメよ」。そして、自分の子供を「自分みたいな友達のいない人」にしてはいけないと必死だったと言います。 ...

その必死さが最悪だった、とこの人は述懐します。「母は私に、余計なアドバイスばかりするんです。私が友達としゃべってるのを盗み聞きして、あんなこと言っちゃダメ、嫌われるわよ、とか、こういう風にしなさいとか」。

子供だったこの人は、母親のアドバイスを聞き入れたと言います。「母の言うことを聞いておかないと、母みたいに寂しい人生になっちゃうんだ、そうなったら人生失敗なんだ、私はそうなっちゃいけないんだ。そう思っていました。怖くて仕方ありませんでした」。

毎日のように、友達と仲良くできているかチェックされたと言います。うまくいっていることをアピールすれば、母親はご機嫌です。しかし、ちょっとでも距離を置き始めた友達がいると、途端に暗い顔をしたと言います。「あなたも私と同じなのね・・とひどく落ち込まれました。私も、母と同じなのか、と絶望的な気持ちになりました」。

人から好かれる人でないといけない・・この人の思春期はそのことで頭がいっぱいだったと言います。「必死に取り繕い、友達のご機嫌をとり、話を合わせ、いい友達がたくさんいる自分を母の前で演じ続けました。それは、母を喜ばせるためのようでもあり、私は母とは違う、と自分で自分に思い込ませるためのようでもありました。そうしていないと、自分の人生が失敗のような気がして怖かったんだと思います」。

その無理が、30歳を過ぎて表面化します。「実家に帰った翌朝、起き上がれなくなりました。やっとの思いで病院に行き、だと診断されました」。そしてそれをきっかけに、自分がACであると気づいたと言います。

「久しぶりに実家に帰って、ひどく疲れた感じがありました。母は、私に友達がいるかどうか、学生時代の友達ともまだつながってるか知りたがりました。でもそれは、いつものこと。自分は大丈夫、そう思ってたんです」。

ACからすっかり回復した今、この人は静かにこう語ります。「でも、全然大丈夫じゃなかったんです。私はもう、疲れちゃったんだと思います。友達の数でしか、私の価値を考えない母に」。

この人は、当時の気持ちをこう語ります。「私は母に、今の自分を知って欲しかった。どんな仕事をしてるとか、どんな結婚生活を送っているとか。でも母は、それには興味なさそうでした。自分って、いったい何なんだろう、と思いました。生きる気力をすべて母に持っていかれてしまったような感覚に襲われました」。

この人は今、から回復し、そしてACからも解放されつつあります。そしてキッパリこう言いました。「友達のいる人生がいい人生、それが母の理想なら、母はまず自分で努力すべきでした。その後ろ姿を見せて欲しかった」。

母親に会うことは、もう二度とないだろう、と言います。「友達が重要・・そう母が思うなら、それでいい。私は母のその価値観を否定したくありません。でも、私は人から、友達の数で自分の評価を決められたくないです。そんな目でしか自分を見ない人とは、付き合いたくないです。私にとっては、母がまさしく『その人』でした」。

親を切り捨てていいのだろうか・・自分を責めていた時期もあったと言います。しかし、その辛い時期を過ぎたら、生きづらさが急激に小さくなっていったそうです。「今は、自分の人生を生きられている実感があります。2度と会わない、と決めたあの時、私は母から自分の人生を取り戻したんだと思います」。


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