高齢父。無事に歯医者に行く。 (2)
「この前の台風、大丈夫だったの?」とこちらを気遣ってくれるようなことを言いました。草花の話なんかも。 ...
父が入院してまもなく10カ月、退院してきて6ヵ月。母は、自分のことで精いっぱいだったのだと思う。久しく、母の口からこちらのことを気にしてくれているような言葉は聞いてなかったなと思いました。お母さんも落ち着いたのかな、と思いました。
3週間とか、3ヵ月とか、6ヵ月とか、1年とか。人はそんな区切りを刻みながら、新しい環境や状況に慣れていくものだと思う。80歳を過ぎても、そうなんだなと思ったし、人は生きている限り、割と適応していけるものなんだなとつくづく思いました。
今から10カ月前に、せん妄を起こし(幻覚を見て人に暴力を振るった)精神病院に入院した父でしたが、父も確かに入院3ヵ月を過ぎた頃から落ち着きを取り戻し、満4ヵ月で退院となりました。実は父がせん妄を起こしたのは、認知症が原因ではなく、兄弟を亡くしたことが原因でした。慕っていたお兄さんが亡くなり、正気ではいられなくなったようでした。入院3ヵ月までは、その話をしようとするとシャットアウトするような素振りを見せていた父でしたが、4ヵ月目に入ると、父は自分から母に「兄貴、亡くなったんだよな」などと普通に会話ができるようになりました。
86歳の父に、肉親の死の辛さを乗り越えられるだろうかと心配しましたが、3ヵ月で父はそれを乗り越えました。
退院後、すぐにデイサービスに行くようになりましたが、やはり退院後の生活に慣れるのが大変だったのだと思う。体調を崩して病院で点滴を受けたこともあります。しかし退院後3ヵ月を過ぎた頃からはそういうこともなくなり、週2回のデイサービスは、今や父の生活の一部です。
父がせん妄を起こし、知人の男性を殴り、警察沙汰、精神病院の隔離室に緊急入院になったとき、母は「もうお父さんとは一緒に暮らしたくない」と言い張り、介護施設にやってしまいたいと頑なに父の退院を拒み続けました。退院後も、「この人は頭おかしいに違いない」と、父のことをそんな目で見ているのは明らかな様子だったけれど、退院から6ヵ月が経ち、母もやっと緊張の糸が解けてきたのかなと思います。
何か急激な変化があったとき、人は急には変われない。若い人の方がそういった環境の変化への適応は早いのかな、と勝手に思っていたのだけれど、そうではないのかもと思うようになりました。子供だって、入学したり、引っ越ししたり、転校したり、クラス替えがあったり・・変化に対応するには、3ヵ月とか1年とか、時間をかけて少しずつだと思う。
高齢になったからといって、環境の変化に適応することが無理なのかといえば、そうでもなく、やっぱり3ヵ月とか、1年とか、マイルストーンのように月日を刻みながら、少しずつ適応していけるものなんだなということを実感しました、
ひょっとしたら、環境への適応の早さは、年齢ではなく性格の方が大きいかも。父は、いい加減なところがある反面、柔軟性や社会性には優れ適応が早かったし上手かった。母は、きちんとした性格の分だけ、「一度せん妄を起こしたこの人は、また必ずやるはず」ときっちり考え、決めつけてしまったところがあり、むしろ介護生活への適応は時間がかかったように感じます。
介護生活とは、状況が一定せずかなり流動的なものです。若干頭の硬いところのある母は、それに適応できるだろうか?と心配しました。適応しきれずに「お父さんと暮らすのは嫌だ」「施設にやっちゃいたい」といつまた言い出すだろうか?とヒヤヒヤしてもいました。でもその心配もいらなかったようです。
母は母で、大変な6ヵ月を送ってきたと思う。でも、「台風大丈夫だった?」なんて、自分も大変なのにこちらを気遣うことも忘れない以前の母に戻ったことをうれしく思うし、この6ヵ月お疲れ様・・と母を労いたい気持ちになりました。
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