[介護生活1年]精神科退院後、母に別の精神病院に連れて行かれた父 (2)

[介護生活1年]精神科退院後、母に別の精神病院に連れて行かれた父 (2)

父、母に心を閉ざす

その頃から、父は、母に口を聞かなくなりました。その頃母は、「お父さんが、何もしゃべってくれないんや。困ってる」とよくこちらに訴えていました。その時点でこちらは、父が精神病院に無理やり連れて行かれていた事実をまだ知らず、「どうしたんだろう? 4ヵ月の入院生活が、よっぽどのトラウマになっているんだろうか・・」と父を案じていました。 ...

父、配食サービスの弁当でキレる

2019年6月初旬。父、配食サービスが気に入らないと、家で突然キレる。退院を機に、両親は、高齢者向け配食サービスから、昼夜2回、お弁当を届けてもらうようになりました。母は父にその弁当を「体にいいんだから、食べなさい」とかなり上から目線な感じで食べるように言っており、醤油とか、ソースとか何かつけたりかけたりすることも禁止していた模様。「醤油やソースやマヨネーズ、ケチャップとかつけていい。美味しく食べれるようにしてあげて」と母に助言。(それをしちゃダメだなんて、こっちは一度も言ってないのだが・・)。

配食サービスのスタートにあたっては、「私ももう年でご飯作るの大変になってきたから、お弁当にするね、勘弁してね、とお父さんに言いな」と母にアドバイスしておいたのだが、そうは言っていなかったらしい。(父は、意外と優しいところがあるので、そういう言い方に弱いと私は見ていた。)しかし81歳の母は、まだまだ自分は若い頃と同じようにやれると思っており、「私も歳だから」みたいなことは言いたがらない性格ではある。でもねぇ、夫婦関係がこんなにこじれて、そのたびにそのフォローをこっちがしなくちゃいけなくなら、そういう言っておいて欲しかった・・。

父、風邪をこじらせる

6月中旬。父、風邪をこじらせ高熱を出す。顔を真っ赤にして具合悪そうなのに、「具合悪くない」「病院には絶対行かない」と言い張った。「お父さんが、言うこと聞かない」と母、電話で私たちに必死の訴え。

私たちはこの時点で、4月下旬から5月中旬にかけて、精神病院やら総合病院やらを父がはしごさせられていることなど知らず、なぜそんなに病院を嫌がるのかわからなかった。4ヵ月の入院生活がトラウマになってるのかなと思ってた。よく知っている先生のところにやっと連れていき、3日間、抗生物質の点滴。重症でした。抗生物質の効きすぎ?今度はひどい下痢に。

父、ひどい下痢になる

「お父さんの下痢がひどくて、もう私は倒れそうです」との母、涙の訴え。父はひざが悪い。トイレにかけこめない。オムツはしたらしいのだが、オムツさせられたのも屈辱だったんだと思う。「お父さんがイライラしてる」と。・・で、大変なのは具合が悪いお父さんだと思うんだけど、そんなお父さんを看病している私が大変だ、との必死の訴え。下痢が漏れるかもしれないから?病院には連れていけない、と。整腸の市販薬を教え、買いに行くように指示。父の下痢、収まる。

私はこの頃から、要介護状態にある「自分の夫(父)」のことより、自分の身ばかりを案じ、その窮状を訴え続ける母に、疲労を感じ始めました。こんなこともありました。続く


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